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釜山ビエンナーレ, 作家たちは見えるのに企画力は抜けたような
現代美術展・Sea Art Festival・彫刻プロジェクトの異質的結合
"あまり人の口に戸は立てられない… 放漫な規模ぜい肉落し必要"

6日開幕した 2008 釜山ビエンナーレは ‘EXPENDITURE 蕩尽’というキーワードを提示した。多分に自らへの風刺に聞こえるが、旧時代的人物である吏読式運営委員長が導いたこの巨大な行事は決して慎まなかった。 展示に出品した 190人余りの多国籍作家たちを紹介する図緑の重さは 5kgに迫る。

基本的に釜山ビエンナーレは三種類の異なるイベントから成る。 ‘現代美術展’, ‘Sea Art Festival’, ‘釜山彫刻プロジェクト’で大きく分けられるが、常に相互異質的だ. 現代美術展は国際的水準を取り揃えた作品を見せてくれ、Sea Art Festivalは大衆世論を撫でさして、 釜山彫刻プロジェクトはいわゆる ‘利権事業’になる。

事実上キーワードは飾りに過ぎなくて、出品作たちはそれぞれ声を高める。特に現代美術祭はこんなに中区南方でもなるような位に深刻な企画力不在を現わした。例えば、担当キュレーター、キム・ウォンバン氏は ‘スター作家’ Terence Kohが直接釜山へ来て公演すると案内したが, 最初から来韓計画がなかったことで明かした。

しかし, 見物な作品がないという訳ではない。 皮肉としか言いようがないが、 キュレーターの声が現われないおかげで作家個別の声がよく聞こえる。これは敢えて特定のテーマを立てなかった 2008光州ビエンナーレと対比される風景だ. 光州のオクイ・エンウィージャ芸術総監督は明確な政治色を現わしたが、その結果展示作家たちの声は ‘タルシックミンズの’の大合唱になった.

釜山市立美術館とスイミングヨット競技場で開かれる現代美術祭が脈が使う事ができない間、戦勝補氏が展示監督を引き受けたSea Art Festivalは慇懃こっそり領域拡張に出た。広安里海辺など野外に設置された作品は常にそのように ‘観光客の記念撮影用背景’に異同ではなかったが、遊園地未ワールドに設置された作品は現代美術祭と競争する姿だった。風呂場、蒸し部屋、事務室などで使われた空の空間を占めた作品何人では力があふれた。

現代美術祭では西尾康之、森村泰昌と、Bruce Labruceなどが観客の人目を引くが、山川冬樹の作品 <the Voice-Over>が断然圧巻で, Sea Art Festivalでは田中功起の <Simple Gesture and Temporary Sculpture>, Tellervo KalleinenとOliver Kochta-Kalleinenの <Complaints Choirs> などが ‘必ず逃さずに見なければならない作品’だ.

去る 2006年から行事規模が放漫になり始めた釜山ビエンナーレにはダイエットが必要だ。ビエンナーレの意義は ‘世界を眺めて解釈する今日の方法’を点検することにある。ところでソウルオリンピック美術祭の昔の悪夢を連想するようにする釜山彫刻プロジェクトや、“アジア現代美術の元老作家 30人余りを招待した”と言う特別展 <美術は生きている>、そして地域作家たちの宴である ‘ギャラリーフェスティバル’などはビエンナーレの基本主旨を顔負けにさせる。

イムグンズン(美術・デザイン評論家)、釜山
インターネット韓国日報
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